2013年3月12日火曜日

思いやり訓練



昨日は久し振りの休みで お買い物に行ったりしました。

相変わらずペットショップの前でかなりの時間を費やしてしまいます。


帰りにファミレスに寄ったのですが、
1つあけた隣の席では 私と同年代風のお母さんと,
5  -  6 歳の男の子がご飯を食べていましたが・・・

テーブルの上には i pad が乗っていて アニメを見ています。
ボリュームは絞ってあるのですが、非常に気になりました。

電車の中で電話をされるのと同じで、
更に遠くのテーブルで大声で話す女子高生の声はさほど気にならないのに、
すぐそこの 小さな音で流れてる不自然なTVの音はどうしても気になる。

いろんな価値観の人が混在するのだから ほんとに社会って難しいよな・・・

こーいった大人に限って
飛行機の中で赤ちゃんが泣くのが絶対許せなかったり。。。。
例えばね。。。



クンパルでは「思いやり」ということを ひとつの指針にしています。

思いやりにも 色々な形があるでしょうが


「他人に優しくなれるかどうか」+「想像力」=「思いやり」

だと 私は思っています。


エレベーターの中で会った他人に かもしれませんし、
あるいは 今目の前にいない 想像の中の他人に かもしれません。


ここにガムを捨てたら くっついてしまって、後で顔の知らない誰かが
それを取る作業をするのは大変そうだ・・・では、紙にくるんで捨てよう、

という 想像力。


瓶の中に少しワインが残っているけど、そのままゴミ置き場に持って行こう。
でも これを回収する業者さんは瓶が倒れるたびに車の中が
ワインで汚れたり困るかもしれない。
では、ちゃんと中身を出して捨てよう、

という 想像力。


想像は思いやりの訓練になるのではないか と思うのです。


それでも人間は勝手なもので、自分の中で「これくらいならいいだろう」が
出てくる。
それが価値観の違いになるのでしょうね。。。

i pad の小さな音くらいいいだろう 子供も見たがっているし

次元の大小を決めるのも自分ですから、
ある人にとって どうということない出来事でも
ある人にとっては 非常に不愉快であったり。


私にも、ある人にとっては 非常識と思えることが
私自身の価値観の中で正当化してしまい、不快な思いをさせていることが
実際にたくさん たくさんあるのだろうと思います。


私もまだまだ訓練が必要です。



タンゴでも たくさん想像することによって訓練できそうです。


ちょっとこの人のオチョ変だな、でもひょっとしたら それはいつも先生に
注意されていてとても気にしていることかもしれないな、
何か 上手な言い方を考えよう  

 とかね。例えばね。




昨日はあの震災から2年たったのですね。
日本全国 防災訓練とともに 思いやり訓練 というのを掲げてみたら
いいと思うのですが。


電気がいっぱいあったらいいな、儲かるな、
たくさん 原子力発電所をつくろう。でももし大地震がきたら?
エライ人達の研究や予想をはるかに超える大地震だったら?

想像力をじゅうぶんに働かせて よくよく考えてゆかなければ。。。


まだ被災地で不自由な生活をされている方を思うと胸が痛みます。



思いやりニッポンでありますように。

0 件のコメント:

コメントを投稿