2008年11月1日土曜日

ブエノス・アイレスのお話 2008~その5~

はじめに書いた「イグアスの滝ツアー」で びしょ濡れになり、
ブエノス市内は もう春だというのに やたらに寒く、
景気の悪さから 人々のエネルギーは低迷しており、
私達はそろって すっかり風邪を引いてしまった。

ブエノスで体調を崩すなんて・・・・
それこそ10数年前に 初めてブエノスへ行ったとき以来である。

いっつも ブエノスへ行けば 超元気 お肌つるつるで帰れるのになあ~。。。


そんなして 鼻水ずるずるしてた私達なので いつもより深夜のミロンガ遊びも
セーブしてしまった。

こちらでは10時か11時になってミロンガが始まり、深夜2時3時4時まで続く。
ここでは物騒なバスが24時間走ってるんで、ポルテーニョはそれで帰るけど・・・
私はとても乗る気にはなれない。こわいもん。




このミロンガは ミロンガの前にレッスンがあったので、そこから参加してみた。

タンゴを踊るスタイルも本当に様々だが、
このミロンガはモロに ひとつのスタイルに固まっていた。
当然ここのレッスンをする先生のスタイルってことだけど・・・。

私も「ここのスタイルに合った練習をしなさい」と非常にダイレクトな注意を
先生から受けた。

もちろん それはその通りだから、忠告に従って そこのスタイルを学ぶことにした。



レッスンが終わって ミロンガTIMEになると レッスンに参加していた人達は
端っこに固まって待たなければならない。

ひとりのセニョーラが 座る場所の割り振りを細かく指示してゆくのだ。

「男性同士? 二人? じゃあ あっちの角、 女性3人? あのテーブル 前列ね、
次は?カップル? あとで! そこの男性 一人? こっち来て」

といった具合である。

非常に時間がかかる。

私達のようなペアは後回しで、最後まで突っ立ったまま待たされる。

いい加減 時間がかかって頭に来たので
「どこでもいーから早く座りたい」と言ってみたけど
まったく相手にされなかった。

この日はレッスン参加者も大変多く盛況であったので、そのテーブル整理もことさら
時間がかかった。

後から、ミロンガのみ参加するために来た人にとっては
入場料を払って テーブルを案内されることは 至ってノーマルなことなのだろうが・・・・




ここは、年配の方の多いミロンガで、カベセオ命ーー!!っていう炎がメラメラとしているような
雰囲気である。

カベセオって言うのは いわゆるアイコンタクト ってやつで
遠く離れて座っている女子に 男子がめくばせして「踊ろーぜ」って誘うことを言う。


以前、ここ おんなじミロンガに来たときは 来てる人達が うーんと余裕があって
エレガントでかっこいいな~、と思ったけど

どーいうわけか まったく同じ空間であるのに ちっとも かっこいいと思わなかった。



以前は そのカベセオも自然な流儀で出来上がっていたのに、
今ではカベセオのために駒を適切な位置へ配置してるって感じである。
本末転倒でないの??



それに・・・なーんかこう・・・
「踊れねーやつあー人間じゃねー」みたいな ちっちゃさ、 

「ここのスタイルじゃない人は他所のミロンガ行けば~」みたいな ちっちゃさ、
(レッスンが終わってミロンガだったら どこぞの者でもいーじゃんっ)

1タンダ終わるごとに 競い合うガツガツした感じと
(↑コルティーナで区切られた数曲のまとまり)、

下手なやつは円の外へはじき飛ばす意地悪さ、
踊れない女性は徹底して 座ったまんまにさせる思いやりのなさ、


あーあ、書いてるうちに 嫌になってきた

ちょっと さだまさし の真似して

「意見には個人差があります」 のプラカードだしとこっ。




まー  ともかく
踊りのタイプも好きじゃーなかったし、
つまんなかったもんで、ここはさっさと帰ることにした。



そんなわけでミロンガへはあまり行かなかったけど
プラクティカへは ひょいひょいと行った。

ミロンガより時間も早めだし。

プラクティカと言っても 「練習です」って感じではなくて
もっと気楽なミロンガって感じである。


何より「大らか」だ。 誰が上手だろーが、ヘタっぴーだろーが気にしない、って感じで
円からはじき飛ばす なんてことないし、ぶつかっても お互い様 って感じが すごくした。

ひょっとしたら 今はこーいう プラクティカという名のミロンガ みたいなライトな感じが
主流なのかもしれないな、とも思った。




それと、今回 感じたことは・・・
やはりタンゴも「外国の影響を強く受けてるんだなあ~」ということ。

以前はアルゼンチン国内でも「タンゴ・ブーム」の波があって、流行らないときは
CD屋さんでもタンゴのCDは奥のほうで ひっそり ちょっぴりあるだけだったりしたし、
流行る年は教室が増えたりした。


それが、今では いつだって「タンゴ・ブーム」だ。

日本で 急激にタンゴ人口が増え始めたのは ここ5-6年と思う。
それは たぶん世界的にそれほど誤差はないだろうから、
この数年 アルゼンチンへ旅行するタンゴ好きな人々は世界中から増えているだろうし、
ミロンガへの観光客の出入りも当然増えて。。。私達みたいに。

踊りのスタイルも多様化することで広告しやすくし、
ミロンガにも新たなルールができてきた。

あるいは、ミロンガに新たなルールをつくったのは間接的に外国人観光客なのかもしれない。



本来、   というか 以前からある老舗のミロンガは どこもアットホームで
家族で、とか 夫婦で、 とか恋人同士で、友達同士で 踊ることをとても大切にしている。

新たにタンゴを習う人は とっても練習熱心で 足しげく教室へ通ううち 友達ができて
ミロンガに誘われるようになって その輪に入ってゆく。

そーいった流れであったのではないか と思う。


そして ブエノスでも どんどん新しい ミロンガが出来ては
潰れていったり 変化が激しい ということも 現地のミロンガ大好きっ子から聞いた。

むつかしいんだな~。。。。







今回の旅行で 私達はコリエンテス通りにある 170年の歴史の古~い教会で挙式をした。

その夜、式にも参列してくれた友達がプラクティカに誘ってくれて
ここも古くからある アットホーム・スタイルのプラクティカというより自由なミロンガで

なんだか テラちゃんみたいな人とか トヨダのおじさんみたいな人とか シャンハイみたいな人がいて
みんなして 私達を順に紹介してくれた。

で、みんなして 「おめでとう」を口々に言ってくれて
みんなして かわるがわる お祝いに踊ってやる とか お祝いに歌ってやる とか
お祝いに演奏してやる とか そんな状態であった。

で、私達も エキシビジョンやれ と言われ



こんな風に踊った。


COCHABAMBA 444

グスタボ・ナベイラ というダンサーが 昔からとても大切にしている古いミロンガだ。

よそ者の私達が思いがけず この コチャバンバで温かい祝福を受け 踊ることができて
私たちにとって ここは とってもとっても大切な場所になった。


こーいう 大きな人柄のオーガナイザがいて、それを囲む温かくも タンゴに病気な人々が
集まるミロンガは長く続くんだなー、と思うし・・・このまま変わらないでいて欲しいなーと思う。


そして、クンパルも やっぱりこんな風でありたいなー と思った。





あ、コチャバンバではカレーライスもおやつもなかったけどね

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