2017年8月23日水曜日

おどりごころを育むって話

先日 じゅんこのトークショー というのをやりました。
昨年から引き続き3回目になります。

今回は 6月末から1週間で行ってきたイタリア カターニャタンゴフェスティバル
でのワークショップの内容報告をメインにお話しました。

ただ、残念だったのが このワークショップ すべて撮影禁止だったんですね。

なので、実際のナベイラやチチョがお手本を見せてくれてる
シークエンスの動画などがなかったので、
ワークショップの中でポイントとなった事柄などを私が用意したスライドとともに
お話した形になります。

このね、撮影禁止ね、
ちょっと珍しいですよね、

私も ブエノスや 他のヨーロッパでのフェスティバルは少々行ってますけども
だいたい 先生がクラスの最後あたりで
「はい 今日やったシークエンスやるよー」ってカメラを準備する時間を
くれたりするんですよね。

後でおうち帰って練習してねー みたいな ね。

それ一切ナシでしたわ。

それがさ 中には強者がいて 音鳴らさずに こっそり撮ろうとする人がいるんだよね。

そーすると 一体どこに目がついてんのか ってくらい絶対チチョが気付いて
ババっと振り返って 「NO」とだけ言うわけよ。

殺されんのか ってくらい怖くてビビっちゃうよね ほんと。

あーあ バカでー  ってね 思ってるわけ 私は。



それで、じゅんこのトークショーですけど

タンゴ教室で お話だけ聞いたってしょうがないじゃん って思う人も
いるかも なんですけどね

私はお話を聞くこと も含めて タンゴの上達に絶対につながると思ってます。


ずっと昔 その昔  私が師匠の元で お稽古に励んでいた頃、
レッスンの前後や 一緒にお食事させてもらう席なんかで
先生が 先生の 先生に習った話とかを聞くのがとても楽しくて嬉しかったです。

一緒に舞台などを見に行かせてもらえば、それを師匠がどんな感想を持ったか
興味津々でしたし、私とはまったく違った視点であることを驚いたり、
どうしてなのか質問したり、
「お前はまだ子供だからわからない」なんてバカにされたり、
それも全部 嬉しくて、いつだって師匠の踊りに対しての言葉を
聞きたくてワクワクしました。

その会話の1つ1つも たぶん 私のおどりごころを育ててくれてたと
思うのです。



例えばね、何かひとつのシークエンスのお手本を見たとします。

そのお手本を見ても 実際の動きをどのように感じるか 体感は
自分の目で見た
自分の判断の中でしかないわけです。

つまり 想像です。

このシークエンスはたぶんこんな感じなんだろう と。

先生は一生懸命 「ここを強めにぐぐっと」とか 「ここでふわっと上がるように」とか
表現に関するヒントを色々な言葉を駆使して出してはくれますが

それでも 結局は自分の想像だけでしか 動きをつくってゆくことって
出来ないんですね。


そうすると、ダンスの上達とか
表現力の向上とか
感性を豊かにするとか

つまりタンゴのミュージカリティや 相手との共有感を育てる というのは

いかに その自分の中の想像力を広げるか ということが重要になります。


自分では「おそらくこんな感じだろう」と 無意識に感じてることが
そのまま動きになるのです。

わかりますかね?


他の人と ちょっとしたおしゃべりをした時、
「へーえ この人はこんな風に感じてるんだ」って思うことありますよね。

それが自分とは全然違っててもなんでも
その「へーえ」の積み重ねは 自分の想像力を広げることに
つながるだろう と思うのです。


友達と飲みに行って タンゴ談義に花を咲かせる

これ 大変良いことと思います。


「聞く」だけでなく「話す」ことで、自分がどんな風にタンゴを
感じてるのか再発見があったりしますよね。


たくさんの本を読んだだけでは感性は養われないし、
たくさんの映画をただ見ただけでも感性は養われないし、

その本や映画から美しい部分や心が動いた部分を見つけたり、
その気持を言葉にして表現してゆくことで
感性は育ってゆくのかな と思うわけです。


タンゴも同じように、そんなふうにして おどりごころを育てていって
欲しいな と思っています。


なので、今回のじゅんこのトークショーでも
話を聞いて、みんなで一緒に動画をみて、

ひょっとして チンプンカンプンの話もあったかもしれないけど

でも みんなの中に うっすらと薄皮の層を重ねるように イメージが
蓄積されてゆくことが きっと おどりごころに つながると思うわけです。


今回 来れなかった方は残念でしたけど
これからも いろんな人と話を聞いて、話をするといいですよね。



まあ、そんなふうに思います。


どんなにたくさんステップを知ってても、
どんなに体の使い方が正しくて、足元がきれいにいってても

踊ってない人は 踊ってないのです。


そこにおどりごころが加わってないと
タンゴになりません。

そーゆーことです。








2017年8月12日土曜日

続・意識と無意識

ここ最近 このblogが止まってた間はずっと
「意識と無意識」の新聞記事が出っぱなしだったわけですが

練習 というのは意識をするものですね。

今日のこの練習で何を直したいのか
はっきり決められるなら決めた方がいいです。

ほとんどの人が先生に注意をされるのは
いつも同じことばかりだと思います。

何度も言われたことのあることが、何か具体的なことであれば
意識をしっかり加えて練習を重ねれば
やっぱり直せると思うんですよね。


一方、無意識になって楽しんで踊るのがミロンガです。

ミロンガでは練習のことは忘れ、間違えちゃっていいから
音楽を感じ、相手を感じて踊る。


で、ですね、その辺は皆さんお分り頂けると思うのですけどね、

ここで おぎりん流の「意識と無意識」のお話です。


おぎりんに言わせるとですね、

意識と無意識の間にアイデアが生まれる

とういうのですね。

さすが感じるところが違うもんだな ってね。 ふふん。



確かにね、そうなんですよね。

男性の場合 特に  かな、

無意識だけで ぼよん と踊ってたのでは いつも同じ動きばかりになるし
慣れた動きから出てこれないんですよね。

たぶん自分でも気づくんですけど
ぼよん と踊ってる限り そこから先がないわけです。

シークエンスのかたまり A B C を並べかえていつもどーにかしてる人は
ことさらヤバイですよね。


そこで おぎりん博士が言うところによると
意識と無意識のアイデアをキャッチして 自分の枠から脱出せよ という
ところなのでしょうかね。

    ふふん。



女性もね、そうだな と思いますよね。

女性では さしづめ  意識と無意識の間に美が生まれる とでも
言いましょうかね。

アドルノとかって そういうことなのかも ですね。

センスとかね。


ただ リードに引きづられてるのでなく
女性にも踊ってほしいな と思います。



いやはや お盆ですな。
昨夜のZ は お休みの日でもわざわざ十番へ出てきて下さった方々、
どうもありがとねー!
ありがたいやねー。


いやはや。









2017年8月7日月曜日

システムを感じる

どうも。

またまただいぶご無沙汰してしまいました。
細々と続いてるblogでございます。

「書く」と「読む」は好きなことの1つなのです。
だから いつもレッスン中などには
「ああ、このことをblogに書こう」と思いつくことがよくあります。

それで、ふいに名簿の紙をペロッとめくって
裏に走り書きしておいたりはしてるんです。

ほらね。


言い訳がましいですね。
こうして走り書きして早1〜2ヶ月は平気でたってますからね。ふふん。




いつもいつもずっとレッスンの中で言い続けてることは
「ステップを覚えるのではないんですよ」ということなんですね。


ステップを覚える という場所から離れずにいるなら

レベル1のサリダや前オチョ・後ろオチョは確かに超かんたんで
すぐ覚えられるでしょうから、繰り返し何度も練習する必要なんて
ないんですよね。

では、何を覚えてほしいかというと

このダンスのシステム なんですね。


じゃ、システムって何だよ って話なんですけど、
これは 一言で システムとはこーですよ とは言えないわけで

同じ動きや似た働きの動きを何度も色々な人と繰り返す中で
少しずつ感じていくそれなのだと思うのです。


なので、こればっかりは レベル1〜5 までカリキュラムがある中で

これがシステムのクラスですよ ってわけにはいかなくてですね、

本人がそのカリキュラムをどのように受講するか
   〜順番とかどう時間をかけるかとか〜
もう そこにかかってるとしか言いようがないのですね。


今日のこのお話は 男性も女性も どちらも同様に言えることで、

やはりクラスの内容は徐々に複雑化してゆきますから
ステップを覚えることでずっとやってても

たとえば 男性だったら

  ここは右足でも左足でもどっちでもいいです

なんて説明があったりすると、もうどーしたらいいのかわからなくなったり

一体どーして右でも左でもどっちでもいいのかピンとこないでしょうね。



たとえば 女性だったら

お馴染みですけど
  早いよ  とか  覚えたことやらないで

って言われても 実のところ 一体何が早いのか なんなのか
ずっーとわからないままになってしまいます。

ステップや足に意識がフォーカスされた
ままだからです。


クンパルにはトリセツがあります。
その最後のページのコラムに「タンゴは毒にも薬にもなる」という
お話を書きました。


私が 「タンゴを教える」ということをナリワイにしているのは
すべてここが軸になっています。


自分以外の誰かと踊る というための技術を教えたい と思っています。


うっかりちゃんと練習していなかったばっかりに
相手を引っ張ったり、振り回わしたり、ピスタから外れたり、
ひどい場合には相手を怪我させてしまったり・・・

そのようなことがないようであって欲しいと思ってます。

そのようなことになってしまった場合、仲良しグループならきっと
笑って許してくれます。

その人が 本当はとってもいい人で、悪気があって引っ張ってるわけではないことも、
うまくいかなくても普段は一生懸命練習してることを知ってる
仲良しグループさん達は許してくれます。

では、よそのミロンガで知らない人と踊ったらどうでしょう?
言葉の通じない外国ではどうでしょう?

悪気はないんです っていちいち弁解して歩くわけにはいかないですもんね。
本当はいい人なんですって 誰もかばってくれないですもんね。


誰もがみんな練習中の身であって
まだ未完成な人達の集まりがミロンガなので
下手だってぜんぜんいいのです。

ぜんぜんいいのです。

ぜーんぜんいいのです。


ぜんぜんいいから練習はしましょう。
一緒に踊る誰かのために「どんな練習が必要か」を
自分で判断できるようになってくださいね。


タンゴというのは 自分が楽しむことも大事だけど
それよりもっと
相手を楽しませるために練習する ということの方が
大事だな と

私は思います。

それが タンゴの薬だと思うのです。

その気持がある人が タンゴのシステムを少しずつ感じ取ってゆくのだと

そんな風に思います。